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他愛ない日常を彩って。 

掛け値なく魅力的


※ブログの中でいくつか劇中の台詞を書きましたがメモも取らず朧げな記憶の中書いておりますので、若干異なっていると思います。悪しからず。




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はじめ、配給から送られてきたFAXを見て本当に驚いた。字幕版を制作中であることはツイッターなどの情報から知っていたし、そういったお知らせを各劇場に伝えてくださってる様子も目にしていたけど、まさか、土日含めた1週間全部、そして全部の回で字幕版の上映が行われるとは思わなかった。両手を挙げるしかなかったです。心意気に完敗です。やりよるなぁ。



日本語字幕版の上映自体はそこまで珍しいことではないと感じたのはわたしがそれにほんの少し携わる立場にいるからだと思います。チケットを切るときに字幕版での上映ですと一言付け加えて、劇場前パネルに日本語字幕版の表示を貼る、だけ。購入の際にもそれを言われているにも関わらず、えっなんですかそれという態度をされたり言葉を投げかけられたり笑われたりすることは少なくはなかったです。わたし自身、邦画に字幕が付くことに具体的なイメージがわきにくく、かえって分かりにくくならないのかななんてことも思っていました。これは、原作において伸が昔、バラエティー番組に字幕やテロップが付くことを煩わしく感じた感情と似ていると思います。聞こえる側の人間だから、当たり前に思うことだと思う。気になってしまうことを気にする必要はあるようでないのかなって。ここは難しいとこですね。


大半が聞こえる側の人間であることもあるからか、普通、言うならばわたしが関わったことのある日本語字幕版上映は、何日間かの限られた日数、そして限られた時間において 適用されているものだった。だから本当に驚いたんです。まさか全部に付けるだなんて。


結果として、見た感想として、この試みは大成功だったと思います。わたしは原作から入ってるからかもしれないけど、ひとつひとつの言葉が耳で聞いてるだけのときより突き刺さって染み入る感じがしました。レインツリーの国の世界観を表現するにあたってこの文字でのアプローチは本当に効果的だったと思う。毎回泣いてしまうとはいえ、初日よりかは幾分落ち着いてきていた中、初日並みに大号泣してしまいました。




原作の中でひとみが言っていたことでもあるけど、昔何かの読書感想文で 「聞く」と「聴く」について言及したことがあります。聞くことは自然にできるけど、聴くはわずかな聴力と神経をとぎすまして唇を読まなければいけない、と。わたしはどちらかというと「聴く」ことについて、ひとつの物事に対して耳と目と心を使って向き合うことは真摯でいいことだっていう風な文章を書いた記憶があるけど、実際に 聴くことをしているひとにとってはそれは大変なことであって、それに頼る他ない人たちにとって 聞くことができるひととの会話は本当に大変なことなんだろうなと思いました。試しにお芝居を字幕を見ずに口の動きだけで見てみましたが、すごく難しかったです。何回目かの鑑賞なおかつ原作を読んでいたから、次の台詞が分かっているから、次の唇の動きに備えることができただけで、これは台本も何もない普通の会話だったらどれだけ神経を使うんだろうって考えました。





「普通の音量で喋ってください。それでも聞こえないときは聞こえないので」
「口元に手を添えないで。口元を隠されると唇を読めません」
何気なく台詞として組み込まれてることだけど、これってすごく大きなことなんだろうなぁって。いつか訪れるかもしれない機会のために覚えておこうと思いました。


「ひとみさんは中途失聴者なん、難聴者なん?聾者じゃないよな。種類は伝音なん?感音なん?」
これも何気なく組み込まれていたけど、すごくいいと思う。伸さんがひとみさんを理解しようとするように、わたしは作品を思う気持ちがあるから、この何気なく出てきた単語があとからすごく気になって。何となく知ってるように思ってるけど、実は全然知らないよなぁって。正確にわからなくたって物語の進行にはそこまで関係がないけど、もっと理解したい、知ってみたいって確かに思えたことはこの作品との出会いのなかでも嬉しいことのひとつです。聾って漢字むずかしいなぁ、とかね。龍の耳ってなかなか粋なセンスだなって思ってたけど、ロウって言葉はぼんやりしているさまを表すようで耳がぼんやりしているという意からこの字を使ってるそうですね。月がぼんやりで朧。これは意味を知ってからの方がそのセンスというか由来に唸りました。






知らないことはこわいことだと思う。無知が理由で傷つけてしまうことはほんとにこわいことだけど、たくさん起こりうることでもあります。だからこそ、知らない、ってことを、知っておく必要があるんだろうなぁって。高校のときの倫理の授業をふと思い出しました。無知の知を唱えたソクラテス。考え方が気に入ってひとを好きになったのは初めてだった気がします。偉人に馴れ馴れしいけど(笑)、ほんとそう。



わたしは、自分は何も知らないってことをちゃんと思って生きていきたいなぁって思います。知らないから知りたいって思えるから。それは特権だと思う。知りたい、分かりたいって、近づいて寄り添うことはすごく素敵な愛情表現だなって、映画をとおして強く思いました。




でも、知らないっていうことをちゃんと理解できてなかったなって反省することもあるんです。書くかどうかすごく悩んだけど、これはちゃんと書いておきたい。わたしは、西内まりやちゃんがあまり得意ではありませんでした。ニコラのころから見てたけど、何となく苦手でした。この何となくって表現の、曖昧さが好きでもあるけど、すごく無責任な気もしてきらいでもあるなぁ。でも、番宣やインタビュー記事、そして何よりひとみという役に対する姿勢をお芝居から感じ取って、わたしはまりやちゃんのことを何ひとつ知らなくて、知ろうとしなくて、勝手に苦手意識を持ってただけだったんだなって。じぶんの視野と興味の狭さを恨みました。本人に伝えたわけではないのに、ものすごくへこみました。何に対してもすごく真っ直ぐに誠実に取り組んでるんだなって。耳が不自由なお芝居ももちろんなんだけど、1回目のデートの1軒目のオムライスのお店で傘をたたむシーンがあるんだけど、伸さんが何も気にせず傘立てにいれるのに対してすごく自然に器用にまとめているところとか、あれは本来のひとみの性格が出てた気がして好きでした。細かいしうまく説明ができないんだけどね。何だか好きでした。

そして、ものすごく周りが見えて、いや、見ようとしてて、その場が楽しくなるように、玉森くんのファンであるわたしたちをも楽しませようとしてくれる、そんな気遣いができる方なんだなって。華やかさと貪欲さが共存してるイメージを持っていて、そこから何となくとっつきづらく感じてしまっていたけど、この人はその力を自分だけではなく場に対して注げる人なんだなって。すごく好きになりました。嫌いが好きになることって、わたしはほとんどないので、彼女が持つパワーはすごいです。見るたび元気になれたよ。玉森くんにもたくさん話を振ってくれて、無茶振りもしてくれて、ありがとうございます。おかげさまでかわいい姿をたくさん見ることができました(笑)まりやちゃんを好きになったことも、この作品に会えてよかった理由のひとつでもあります。




字幕版でどうして涙があふれたかというと、メールを読む伸さんもとい玉森くんの声がものすごく優しかったからです。これも何となく音で聞いて、映像と合わせながら観てた時には自然と聞いていた。それはそれで世界観にどっぷり入り込んでたってことだからいいと思うんだけどね。文字を追いながらだとわたしは自然と音に興味がいって、その声色の優しさとか笑ったあとの余韻だとかそういう細かい部分の情報がなぜかどんどん入ってきて。本を読んでるときのことを思い出してたのかなぁって。

わたしは本を読んだ高校生の時からずっと、伸さんが理想のひとで大好きだったのですが、やっぱり彼は青春菌のかたまりのようなひとでもあるので(笑)、それは伸さんだから言えるんですよ〜〜それは伸さんだからできるんだよ〜〜って思うこともあってね。それも含めて眩しい存在だったんだと思う。

その伸さんをより素敵なひとにしてくれたのは紛れもなく玉森くんです。脚本って言ったらもちろんなんだけど、ある種事故でメールを送ってしまって 気持ち悪がられたらどないしよ…って落ち込むところとか なんだか親近感がわくというか。あとこれは持って生まれた玉森くんの柔らかさが、役に、そして映画の空気感によく合っていたと思います。等身大の男の人な一面がきちんと描かれていたからこそ、芯の強さとか器の大きさとかがより際立ったんじゃないかな。あと、絶対否定しないとこが伸さんのほんとうに素敵なとこだと思う。話や言い分を聞いた上ではっきりした言葉をくれるって、これはやっぱりこのひと自身の大きさだなって、その懐の深さに泣かされました。ひとみさんのセンスももちろん素敵だけど、真っ直ぐな伸さんの言葉選びもわたしはすごく好き。掛け値なく魅力的です。好きな言葉をこっそり拝借。

制作が決まってから、上映が決まってから、上映が始まってから、たくさんの時間が過ぎてすっかりじぶんの生活というか心のなかにこの作品が入り込んでいて、すごく嬉しいです。と、同時にあと何回スクリーンで見れるチャンスがあるんだろうって寂しくなったりもします。いつのまにかの贅沢な悩み。たくさんのことがあったなぁ、ってぼんやり思い出してます。たくさんいろんな涙を流したなぁとか。恵まれたことに舞台挨拶のほうにも2度足を運ばせていただきまして、より自分の中で大切な思い出になってます。

正直なところこれを見届けたらわたしが玉森担としてやり残したことってもうないんじゃないかなってくらいに、大袈裟だけどそのくらいに掛けていたので。寂しいけど燃え尽き症候群みたいに、ぱっとお別れしてしまうんじゃないかなって、それがすごく不安でもあったんです。その日をむかえてみたら、全くそんなことなかったんだけどね。ゴールかなって思ってた日は、玉森くんをもっと好きに、大事に、特別に、想うきっかけの日に変わりました。これからもお世話になりたいです。気持ちに波を打ってほしいです。



でも、ほんと、ね、ツイッター見てくださってる方はわかると思うのですが、掛けるものが大きすぎて重すぎて、生活と心にこの作品が入り込みすぎてて、終わりが見えてるいま、気持ちのバランスがうまく取れずにいます。厄介な話なんだけどほんとにそうで。こう、いろんなことから取り残されていってる気分のまま漂ってしまっています。そういう時に楽しい言葉は綴れないのでいまはおやすみという形をとらせていただきました。別に誰が見るものでもない、好きに呟けばいいとも思うんですけど、やっぱり言葉を大事にしたいからこそ、玉森くんを想う気持ちを大事にしたいからこそ、幸せがつまったつぶやきをしたいなぁっていうのが、これも大袈裟なんだけど、自分の中で思っていることのひとつでもあります。あとなんだかんだ言ってネガティブなツイートってそんなに見たいものでもないよねっていうあたりまえのことも思ったりします。そんなわけで、少しおやすみなさいをします。



少々暗くなってしまいましたが、自分にとってこんなにも特別な作品に出会えたことに感謝します。ときめきをありがとう。ずっとずっと特別な作品です。あらためて関わってくれたすべての方に大きな拍手を送りたい。

さらに、特別気に入りの作品になりました。




いよいよ。



10月29日。少し寝坊をした朝でした。早口で弟に誕生日おめでとうと伝え、ばたばたと大学に行く準備をしました。

起きてからまずはじめにする、寝ている間のTLチェックを珍しくしない朝でした。余裕がない朝でした。歯を磨きながら、そうだ、と、思い出したかのようにツイッターを開く。まぁチェックと言っても、基本的には一気に最新まで読み込んでしまうわけなのですが。




びっくりして、携帯と歯ブラシを落とすという漫画のようなことをした。思考が止まるという、嘘みたいなことが起こった。





「キスマイ玉森 映画初主演」





え、映画?
(確かにここ最近目撃情報は出てたけど、!公式より前にツイッターやら週刊誌やらで見てたけど、!)





さらに検索を進めた先に見えた、「レインツリーの国」の文字。知ってる。知ってるどころじゃない。高校生のとき、数えるほどしか図書室に行かなかったわたしが、唯一と言っていいほど夢中になった本。はじめて本を読んでときめいた。世界でいちばん好きな本。少しずつ読もうと思っていたのに、結局夢中になって1日で読み終えたあのときの自分が脳裏に浮かんだ。




レインツリー、映画化されるの、
伸さんを玉森くんが演じるの、
玉森くんが映画に主演するの、
わたし、ポスター飾れるの、
えっ、夢、叶うの?




どちらかというと感情の起伏が穏やかな方であるわたしが、その場の状況をどうこうできるかは関係なくなんとなく飲み込むことが得意なわたしが、小さい子のようにひたすらに疑問を並べて、事態がなかなか読み込めなくて、理解する前に泣いていた。泣きながら、笑ってた。すごいなぁ。すごいなぁ、玉森くん。なんとなくぼんやり思ってたことをふわぁっと叶えてくれた。ほんとに敵わない。泣きながら新聞を買って泣きながら講義室に入ったことを(いろんな意味で)わたしは忘れないと思います。








大学1年生になりたてのとき、美術館で短期のアルバイトをしました。特設ショップの店員さんをしました。その時一緒に働いていた人の中に掛け持ちで映画館で働く人がいて、いいところだよ一緒に働きたいなと言われ、短期が終わってからのバイト先が決まっていなかったわたしは迷うことなく履歴書を出し、面接をし、制服を合わせ、映画館で働くことになります。ちなみに、美術館からの映画館ということで 周りからは何だかアーティスティックなイメージを持たれることがありますが、本人はいたって何も造れません。興味はあるけど、お金は出せない、そんなとこでした。






出勤1日目 9月2日。どうせならついたちから働きたかったなと思いながらタイムカードを持ちました。紹介してくれた方がシフトに入っていたので挨拶をしたところ、「あっ今日からなんだね。残念だなぁ〜わたし明日でやめちゃうの」



おや、




あ、だまされたのか。はめられたのかぁ。自分が辞める用の後釜探しをしてたのかな。先ほど述べたとおり、わたしは状況を飲み込むのが恐ろしく早い。だけど、気づいた時にはすでに遅いわけです。こうして、特に映画に興味のないわたしが映画館で働き始めることになります。辞めたくなったら辞めようと、おそろしく無責任なことを考えながら仕事を教えてもらいました。

覚えることはなかなか多くて、はじめのほうはわりと大変でした。でも、まぁ、大変じゃないはじめはなかなかないし、はじめが大変じゃないと後が怖いし、まぁいいかと思いながら毎日を過ごしてました。






今日は中継について教えるねと言われ、目に入った劇場前パネルは、ATARU。そうだ本来この中継を見に来たかったのだわたしは。だけど、みんなが休みの時うちは忙しいわけで、しかもまだまだ新人だから土曜日に休み希望を出す勇気はないわけで。音声と映像が乱れてないかをチェックしに行くよと言われ、社員さんの後ろをついて劇場に入りました。入った瞬間、玉森くんの入場シーン。嘘みたいなほんとの話。黒のスーツがあまりにも似合っていて、まさかスクリーンに映る玉森くんを観れるとは思っていなくて、はっと息を飲んで口を押さえてしまいました(この時の不可解すぎる反応からジャニヲタだとばれた)。少しの間しかいれなかったけど、きらきらした玉森くんを見れて幸せだった。その後も少し疲れてきたら、ATARUのエンドクレジットめがけて走り、扉を開け、自由へ道連れを聞きながら劇場前パネルの玉森くんを見つめる、そんな毎日でした。

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(名札の裏にずっといれてるATARUの半券。ぼろぼろです。うすーーく玉森くん。)




少しずつ仕事に慣れて、周りを見れるようになれて、自分がものすごい数のフライヤーやポスター、予告映像に囲まれていることに気づきました。映画というものにももちろんですが、この宣材たちにもわたしは興味を持つことになります。働いてなかったら出会えなかった素敵な作品にたくさん出会えました。時間だけは有り余ってる大学生という時期にこの経験ができたのはよかったなぁとおもう。分かることまでは難しいけど、触れることができて本当によかった。そんな中で少しずつ、ぼんやりと、思うことがあった。




いつか、玉森くんが載ってるポスターを飾りたいなぁ。




ATARUのときはまだポスター貼りの仕事を教わっていなかったので気づいたら飾られていた。フライヤーもすでになくなっていた。可能性はないわけではないけど、そこまで高くはない気がした。自信はないけど就職はしたいから、わたしが大学生でいられる時間のうちに、玉森くんが映画に出るとは限らない。だから、叶わないかもしれない。でもそれが、わたしがうまれてはじめて持った目標だった。はずかしい言い方だけど、夢だった。





先の見えない未来だけど、仕事が思いの外楽しめるようになったことも追い風に、この夢が叶うまでがんばってみようかなって、なんかよくわかんないけどがんばってみようかなって、思うようになりました。どれだけクレームを言われても、怒鳴られても、理不尽だなぁと思っても、ポップコーンぶちまけられても、ジュースこぼされても、注意して舌打ちされても、変なストーカーみたいなのに遭っても、八つ当たりされても、頑張りたいなって思えました。もちろん、大変なことだけじゃなかったから、続けられたのだと思います。本当にいい職場です。






そして、冒頭に戻ります。ほんとに嬉しかった。こんなに嬉しいことあるんだって思いました。それから行った、ライブのMC中 玉森くんの口から映画のこと、レインツリーの国という言葉が聞けたこと、本当に嬉しくてMC中もわりと泣いてましたねぇ。




そんな中、これもまたぼんやりと、浮かんだ不安。

うちの劇場で、ちゃんと上映されるのかな?



いやいや、ロードショーなんだから普通にやるでしょっていう声もあると思うし、わたしもそう信じたかったけど、何せものすごく田舎に住んでるので、いわゆる◯◯難民とかには慣れっこだったし、バイトしててもあれこないだテレビで見た映画うちでやらないのか…!とか、やったとしても何ヶ月か遅れてやったりだとかが実際にあってね。うっすら不安を感じながら、この時からショウゲートさんのホームページに毎日のようにアクセスすることになります。過去の作品を調べたり、それは当劇場でやったか思い出したり、そんな作業をしてましたね。そんな春。





4月20日、月曜日。公開日が決まりました。ちょうど7ヶ月後、自分はどうなってるのかなって不安になりながらもやっぱり嬉しくて。同じ日にハルヤも発表されて、あぁなんだか楽しい秋になりそうだな、なったらいいなって、思いました。2日後の22日付のキスログで玉森くん本人からドラマと映画の告知をされてなんだか不思議な気分になりました。こういう面から見ると、更新頻度が変わってしまったことはやっぱり少し、さみしいですね。


4月26日、日曜日。大きめの劇場をはじめとして、続々と第1弾ビジュアルが解禁。すごく、好きだなって思った。いよいよ動き出したんだなって背筋が伸びた。同じくらいに不安も募りました。



4月28日、火曜日。公式サイトがオープン。劇場情報のページ早くできないかなぁ、でもできてほしくない気もするなぁ。嬉しかったけどちょっとつらい。そんな感じ。



5月1日、金曜日。4/20付のショウゲートさんのツイートだと本来ビジュアル公開・公式サイトオープンはこの日だったようなので、少しだけ疑問も残ります(笑)この時はまだショウゲートのアカウントからの情報発信だったんだなぁ。



そしてこの時期が人生初の病み期というものを経験しました(笑)いまだから笑って話せる。ちょうど年明けくらいからなんとなくストレス溜まってるなぁという気はしていたのですが、なかなか決まらない不安からでしょうか、この時期が本当にひどかった。ちょうど学校ゴトでは9月に行われる教育実習について毎日のようにおどしてるのかなと思わせる口ぶりで聞かされ、家庭もまぁわりと荒れやすい部分があるので居心地のいいものではなくて、不安を紛らわすためにシフトにがむしゃらに入ってみたものの辛さは増す一方で。馬鹿馬鹿しいかもしれないですが、本当に辛かったです。

中学生のときですらできたことない、ほっぺのニキビ。ひとつできたのが合図かのように両頬にぶわーっと、わりと大きめの赤みがひどい化粧で隠せないほどのそれができはじめました。検索したら一発で頷いてしまった。「頬のニキビはストレスの証」あぁ、なるほど。そういうことか。食生活を見直したり早く寝たり病院に行ったり洗顔を気にしたりメイクを控えたり、いろいろしたけど全部だめ。普段からそこまで肌がきれいなほうではありませんが、肌の調子が悪いとやっぱり気持ちは下がります。気持ちのバランスがうまく取れなくてツイッターもお休みしたりしましたね。職場のひとにも、あおいちゃんはひとつの物事に集中しすぎるから心配だと言われたりもして、驚くくらいに世界の真ん中はゆうたくんなんだなぁってしみじみしてしまいました。でも、ゆうたくんのことで落ち込んでもまた幸せな気持ちにしてくれるのはゆうたくんだけなので、やっぱり敵わないです。愛しさに降参。




そして、5月23日、土曜日。きっとずっと忘れないとおもう。

フライヤーを整理してると、先輩がきて、はいこれ社員さんがあおいちゃんに渡してだってと、渡されたのがレインツリーのフライヤーでした。パニックどころじゃなかった。まだ仕事あると思ったら泣けなくてふわふわしたまま家に帰ってやっと落ち着けて、号泣。苦しくなるくらい号泣。上映する安心と、これでやっと映画おめでとうって心から言える安心。上映が決まらないことももちろんですが、玉森くんから発せられる、見てねの言葉に素直に頷くことができないこと、おめでとうと手放しで思えないことが何よりも辛かった。だめなファンだなぁって、たぶんこれも落ち込む大きな原因だったのかなぁ。

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(うれしそう。)




6月27日、土曜日。
書店で流れていたという予告を見る。動く伸さんを見て、号泣。2日後に公式ツイッターが開始。




7月11日、土曜日。
前売り発売日。自分が玉森くんが載ってる前売り券を売るのは、不思議な不思議な気分だった。やり甲斐しか感じなかったです。しっかり自分の分も購入しました。






ここからはわたし自身 公の方が忙しくなり、なかなか日付までは追えなくなってしまったのですが、いよいよなんだなぁと思う場面が増えれば増えるほど本当に幸せでした。(スタンディーのことは前の記事で書いたよ)あれだけ脅され続けた実習も すごく楽しくて充実してた。その中でドリボやツアーに足を運んで、時間的にはほんとにきつきつだったけど、心が豊かになった気がする、そんな、これからのわたしにとって大切な季節です。






そしていよいよ、明日に控えた公開日。長かったようで短かったし、やっぱり長かった気もする。ひとつだけ言えることは、映画化が発表された去年のあの日よりも、わたしは玉森くんが好きです。どんどんと、大切な存在になっています。玉森くんが好きだという気持ちだけで頑張れてよかったなと思います。わたしが勝手にひっそりと抱えていた夢を、叶えてくれたのはだれでもない、玉森くんです。玉森くんがこれまでの活動をひとつひとつ一生懸命に取り組んだから、いまに繋がったのだと思います。そう思うと感謝しきれないのと同時に、この人は何てかっこいいんだろうってときめきます。これからもできるだけ長く、穏やかに緩やかに玉森くんを好きでいれたらいいなぁっておもいます。



きょうも幸せです、心から 。

映画館スタッフ(玉森担)がスタンディについてのお話をします。


まもなく設置から2週間が経とうとしている、サイン入りスタンディの取り組みがほんとうにおもしろい。玉森くんのファンであるわたしは、映画館で2年ほど働かせてもらっています。毎日いろいろなことが起こる少し特殊で楽しい職場です。そんな自分の職場に玉森くんの大きなスタンディがサインと共に飾られているという状況はわたしにとって、なんだかすごく不思議で、心が高鳴り続けている毎日です。(余談ですが毎日スタンディ前をとおるたび、無意識にお辞儀をしてしまいます。不審)



2年のうちに、実際に組み立てたものも含めるとかなりの数のスタンディを見てきたわけなのですが、レインツリーのスタンディ構造はいたってシンプルなものでした。(海外ものはやたら組み立てづらかったりするしそもそも説明書が英語書きだから読解に時間がかかるよ。)何となく作品の大小には関係なく人気のスタンディというものが見えてきていたなか、レインツリーの国のスタンディはまさに、そこを行き交うひとがつい足を止めてしまう理由がたくさんつまっているもののように感じた。そして、実際にそういった姿を多く見かけている。




まずは大きさが目に付きやすい。単純だけどこれはけっこう大事なことだと思う。そしてここで働き出してから、強く感じるようになったことなのだが日本人は記念写真を撮ることが好きなのだと思う。インスタグラムなどのSNSに載せるであろうチケットの写真や座席に座ってから、ポスターの写真などを、時にはセルカ棒を使って撮影する姿を多く見かけるし、わたし自身何度もシャッターを切った。そういった人たちにとってスタンディというのは絶好の撮影スポットである。レインツリーのスタンディは出演者である玉森くん、西内さんのサイズ感がなんだか一緒に撮れるサイズ感のように設定されているため、横に並んで写真を撮っている様子が多く見られる。

そして、写真を撮るにあたって指摘できるのが、やはりサインの存在だと思う。やはり芸能人のサインは珍しいものであり、筆跡部分を触るひとサインのみを撮影するひとも多く見られる。ここから、玉森くんと西内さんの知名度の高さ、言い換えると「サインがきて嬉しい人」のカテゴリにお二人がいらっしゃることを強く感じる。「玉森と西内まりや」(お客さんの表現でいちばん多い)は、サインがきて嬉しい人なのである。
ちなみに、西内さんの髪型に関してロング派ショート派といったお客さまたちの意見ももれなく聞けるのもなんだか楽しい。当劇場ではショートが人気です。



玉森くんを見て、「キスマイの玉森じゃん」と言った声が多く聞こえるのが、一ファンとして本当に嬉しい。普段SNS上でファンに囲まれているから、忘れがちだけど、グループのこと、玉森くんのことを知ってもらっているって本当にすごいことだと思う。これはほんとうに嬉しいこと。玉森くんが書いているサインや一言に関してもなんだかすごく楽しませてもらっている。映画とリンクさせたり、不思議なイラストを描いたり。メッセージが、気になったら見てねというものからどうせこれに抱きつくんでしょなどというファンに向けてのものだったりと、バリエーションが様々あるところが面白いし、この少し気の抜けた部分のおかげで量産さがあまり感じられず、あっここに送ってくれたんだなということを強く、より嬉しく感じるのではないかと思います。




パネルのほうも撮影してる方を見かけると、あぁ同志かなとしみじみしてしまいますが、スタンディのみの人も本当に多く見られて、いよいよファン以外の目にこの作品がうつる時期になってきたのだなぁと、感じます。
他の映画の初日舞台挨拶で、子供が巣立つような気持ちだというお話を聞いたことがありますが、今ならなんだかその気持ちがわかるような気がする。もちろんわたしは制作にかかわっているスタッフではないけれど、公開日はいつなのだろう、うちの劇場ではちゃんと上映してくれるのだろうかと期待や不安を持ちながら毎日欠かさずツイッターやホームページを見ていた作品が、こうしてたくさんの人の目にうつるようになるのはたいへん嬉しくそして不安に、なんだか寂しく、だけれどとびきり誇らしく感じたりもする。たくさんの人の目にうつるようになったからには、たくさんの人に見てもらいたい。

だから、たかだかバイトのわたしの立場でも何かできることはないかなと必死に探している。


表立ってできることがあまりない中で工夫してみたことはチラシの置き方です。主にファンの間でしか知られていない時にチラシは届くけど、一気に出してしまうとそれこそ心無い取り方をする方がいたりする。それで在庫がなくなるということはいやだったし、公開間近のそれこそテレビや雑誌の露出などが増えてきた段階で、あまり作品について知らない人に興味を持ってもらうために設置したいなぁと考えていた。
だから、本当に少しずつ出してこまめに補充をしてストックをなくさないようにした。反対にスタンディが設置されてからは、置き場所を増やしてより多く目に入るようにした。スタンディ設置後のチラシのなくなるスピードは本当に早く、強い宣伝効果を感じた瞬間であった。


ありがたいことに作品やスタンディに関しても質問していただくことが多く、公開日はいつかであったり、どんな作品なのかであったりこれは直筆なのかであったり、様々だが、全力で答えている。レインツリーに限ったことではないけど、上映が決まった作品のチラシにはすべて目を通して詳しくとはいかないものの大体のあらすじを把握して説明できるようにしている。レインツリーの国はもともと原作ファンでもあったため、あらすじは十分把握していたし、映画化が決まってから何回も読み返した。それに、玉森くんのインタビューなどから感じたことや事実なども織り交ぜながら、聞いてくださったお客様には説明をしているし、それができることが本当に嬉しい。ちょっと尺が長くなってしまうのは勘弁してほしい。少しでも魅力が伝わればいいなぁと思いながら、わたしの言葉で伝えられるようにしている。
サインに関して、撮影してもいいですかという質問をよくもらうけど、どんどん撮って宣伝してください〜〜って答えてます。スタッフ面してます。直筆らしいですよ、上映する劇場200箇所に送っているそうですなどとお伝えしているんだけど、さも聞いた話かのように説明している自分の姿はすごく面白い。自ら調べたっていうのにね(笑)





あ〜いよいよなんだなぁと実感する毎日です。なんだか改めて幸せとときめきを感じています。心が素敵に高鳴る毎日をありがとうございます。

君には僕しかいないって形で証明してみせよう

フロント担の北山くんへのスライドが話題になっていて、あぁなるほどなぁと妙に納得しました。北山くんに降りてるひとはよく見るけど、反対に北山くんから降りるひとってあんまり見かけない。あくまで当社比です。魅力は人それぞれ違うから長い期間降りないのが第一にいいことなのかと言われたら一概にそうではないだろうけど、一度掴んだものを離さない姿勢が彼の魅力なんだろうなぁと思います。獲りに行くこと以上に、一度掴んだものを離さないほうにエネルギーが向けられている気がして。でも、そんななかでも、目の前にある獲るチャンスはきちんとものにして、また掴んでしまう、そんな魅力がある方だなぁと。ライブに行くたび この人はすごいと感心してしまう方です。心の声がもれるよね、ぽろっと。すげ〜って。




フォロワーさんのなかの北山担がすごく好きです。偏見からものを言うと、たぶんわたしは北山担に向いていると思う。何を言ってるんだろうね。自分のことが好きで好きでたまらない子がすきな北山くんは、なんだかんだ、常に表に出すわけではないけれど、ファンからの愛情をきちんと受け取ってくれているように思う。それを厭うことをしないひとだと思う。(ほかのメンバーが受け取ってくれないとかそういうことではないです。ただ北山くんのバランスが絶妙だなぁってわたしはおもっています。)


「 ほんと重いよね(笑)」と鼻のところに皺を寄せて笑いながら、それでも、「 ん、あんがとね 」って受け取ってくれるような。嬉しいじゃないですか、それって。自他共に認める重たさだから申し訳ないと思いつつ受け取ってもらえたら嬉しいだろうなぁって。


だからといって 玉森くんが受け取ってくれていないと言いたいわけではないし、何よりわたしが勝手に唱えていることだからそんなことはどうだっていいとも思う。玉森→北山の流れが多かったけど、彼はやっぱりグループの顔だと思うので、大きな役割としてあげられるもののなかにお客さんを連れてくることが挙げられると思います。(いろいろ連れてきちゃってる感は正直あるよ…!笑)


特に切り込み隊長なわけではないし、連れてきたお客さんが自分のとこに残らずちらほらと歩き出す姿を特に気に留めずにぽーっと見てるイメージ。同じくらい残ったお客さんのこともぽーっと見てるイメージ。でもその姿勢が優しいひと。目の前のひとにもものにも真摯なひと。気にしてないように見えて気にしてくれてるし、そんな温度が心地よくもある。そんな気がしています。


何か新しいことに挑戦するときにちらっと後ろを見て、大丈夫だよこんなに味方がいるよってことが伝わればいいかなって思ってる。ある種気に留めない強さを自然と身につけている人がここの役割は担ってるんだろうなぁ。意識的ではなく、天性のもの。




(ここまですべて推測で話しているよ…!ほんとはめちゃめちゃ気にする人だったらごめんね玉森くん。それを言葉に出さない強さだと置き換えていただけたらとおもいます。)



話は戻りますが、北山くんについて。2.5枚目を担おうとする姿勢は素晴らしいと思う。でも常に2.5枚目ではつまらないなぁとおもうわけです。2.5枚目って四捨五入したらぎり3枚目なんですよね。去年の北山くんはそういった2.5枚目だったとおもいます。たいへん失礼なことは重々承知だよ、!なんとなく北山くんが目指すものに疑問を感じたのが去年。驚くようなオーラでそれを払拭してくれたのが今年。2枚目と3枚目とを本当にうまく、意識的に使い分けて、その平均から2.5枚目の自分を演出しているように感じました。すごくバランスが良かったように感じる。かっこいいひとなんだからかっこつけてほしいし、そのギラギラ感がいまグループにとって絶対に必要なはずだから。かっこいいをきちんと魅せたからこそ、今年30の男性にこんなこと言っていいのかなというくらいの可愛らしさやチャーミングさがより生きてたと思う。



今回も構成などに携わったと伺いましたが、選曲がとてもよかったように感じます。もう十分背負ってるのはわかっているけど、やっぱりわたしは北山くんにキスマイを任せたい。引っ張っていってほしい。グループの温度を調整する役割を担ってほしい。隣でいる世界を守ってだなんてそんなおこがましいことは言えないけれど、今日だけはすべて忘れてただただ楽しく身体いっぱいに好きの気持ちを表現できるライブという非日常を守ってもらいたいです。




(じゃあ玉森くんは何枚目かと言われると、1枚上手な2枚目というとこでしょうか。2なんだか3なんだかわからないけど、彼はそれがいい。自然体がいい) 




忙しさにかまけて一ヶ月も遅れてしまいましたが、あらためてお誕生日おめでとうございました。レポを見るたびくすぐったい気持ちになります。いろんな葛藤とか気持ちとかあるんだろうと思います。でも、北山くんを見てるといま目の前のことに全力で取り組むから、次があるんだなって、自然に思います。熱くて子供ででもやっぱり大人な最年長さん、これからも年下6人をよろしくお願いします。6人も、ファンも、ちゃんと見てるよ。




良い1年になりますように。




タイトルは、聞くたび、すげぇなぁとしみじみしてしまうフレーズを拝借いたしました。僕には君しかいない、じゃないんだよ。君には僕しかいないんだよ。すごいよねほんと。北山さんはかっこいいね。

僕は君を選んだから



わたしは、ものすごく紙一重なとこでファンをやらせてもらっています。悪口やマイナスなことを言うとそれが顔に染みついてしまうらしいので、じぶんのためにも、あまりマイナスなネガティブなことは言葉や文章に残さないようにしていますが、正直に言うと、きすまいを取り囲むものに関しては不満だらけです。主に運営に対してかなぁ。ついていけないよって思うからついていこうとは思ってなくて。みんながそうではないけど、ファンのひとに対しても、なんだかなぁ合わないなぁって感じることは日に日に増えてる。

なのにどうしてファンクラブにはいって、出演しているテレビを見たり、CDや雑誌を買ったり、当落に一喜一憂して、チケット代以上の交通費をはらってまで現場に行きたいと思うのか。それくらいに会いたいと思うのか。考えてみたけど、答えはほんとうにひとつだけで、玉森くんがいるから、です。玉森くんがそこにいるから。わたしはたくさんの星の中で玉森くんをいちばん星だと感じて、無意識なのかもしれないけど、確かに選んだのだと思います。





もう、ね、

超重いなっておもってるよ。ここまで書いててほんとにおもってる。(笑)とかつける余裕がないくらいにわたしも思ってるから読んでて思った方がいても何もおかしくはないです。超重いよ。だけどほんとのことだから悲しいような愛しいような。

だからもし玉森くんに幻滅するようなことがあったら、いまのわたしはそれが何か、わかっていたりわからなかったりするけど、きっとすぐにこわれちゃうんだろうなっておもってる。だから怖いです。終わりたくないし、終わらせたくない。好きでいさせてほしいなぁ。楽しいんですすごく。だからきっと、好きを確認するために姿を追ってしまうのかなぁ。もしかしたらその行為が幻滅を招くことになるかもしれないけど、それでもやっぱりわたしは好きを確認したい。もっと好きになりたい。





そんなわたしですが近頃ちょっとぎりぎりです。玉森担でいる自信がこれっぽっちもない。もともとないけどさらにない。これもほんとうのお話。幸せにならないでとは思わないしむしろ世界一幸せになってほしいって心から思っているけど、やっぱり自分のお仕事はどんなものなのかってことを考えてもらえたら嬉しい。映像や写真や作品に、想像をかきたててしまう何かを残してはいけないと思うんです。見えない部分で何をしようと何を着けようとどんな言葉を贈ろうと、それはわたしには関係のないことだから何だっていいと思うんですけどね。



でも、うーーん、ここまで書いてて思ったけどこれもわがままなのかなぁ。わたしが勝手に見て想像して悲しくなっているだけではあるわけだけど、ツーショット写真を撮られた時より、ペアでつけるアクセサリーを着けているのを見た時の方がずっと胸が痛かった。大好きな歌をもしかして?な気持ちで見つめるのはほんとうに辛かった。勝手に。



ブログでそんなお話をしたってことは、ただ好きだから着けてるだけって思ってもいいのかな。都合がいいかな。でも、もしそうなら、勝手に想像して勝手に悲しくなって、勝手に玉森くんの好きなものを否定するようなことをして、すごく申し訳ないと思う。ごめんなさい。いつもは玉森くんが身につけるものを見るたび おお〜〜って嬉しくなるんですよ。だいすきな洋服や靴やアクセサリーに対して、それに見合うひとになりたいって気持ちがすごく素敵だと思うからどんどんいいものを吸収してほしいなぁっておもう。玉森くん、格好いいから。もっと格好よくなってほしいから。



ただ、もし、好きだから意味を持ってしてペアで着けてる、だったら、そこまでは受け止められないし受け止める必要もないよね、って、そう思ってます。そのくらいわたしの中ではアウトの行為なんです。本能はどうにもできないけど、理性をどうにかできない、そういうアイドルはいやだなぁって思います。これも勝手にではあるけれど、そうではないって、信じさせてください。



幸せにしてくださいとは言わないから、どうか少しでも長く幸せでいさせてください。想う幸せをください。





だれに誓うわけでもないけど。
わたしは玉森担でいることを、これから先もできるだけ長く選び続けたいです。

オンリーワン

もう三カ月なのかぁ。玉森くんがめでたく25歳を迎えてから、もう三カ月も経ってしまうのか。はやいね。何回かわいいって言ったかなぁ、何回好きって言ったかなぁ。ひさしぶりにブログを開いたら思わぬ形で月日の流れを痛感することとなりました。みなさまいかがお過ごしですか。25歳と3ヶ月の玉森くんはあいもかわらず素敵です。だからわたしはとりあえず、元気に幸せに暮らせています。ありがたいお話です、ほんと。

ずっと書きたかったことをきょうは書こうかと。そんな風に思います。パソコンの方が圧倒的に打ち込むのが早いのですが、突然の不調により止むを得ずあいぽんちゃんをぽちぽちしてます。あまり長くなると指が悲鳴を上げそうだから慎重にことを進めないとね。自分のためだね。

去年発売のアルバム「Kis-My-Journey」に収録されている自慢の自担のソロ曲は、彼自身の作詞によって作り出された、「Only One...」なぜだかわたしはこの曲を彼が歌う姿を見ると、必ずと言っていいほど泣いてしまいます(大体は 薄目で見てます ブルーレイ。心の俳句)。東京ドームで隣の知らない人に心配されたのはいい思い出です。とりあえず大丈夫です。その節はありがとうございました。ほんとねぇ、なぜなんだろう。その訳は何なのだろうかとちょっと自分に問いかけてみようと思います。

なぜかと聞かれても、正直、はっきりわからないことだらけだけど、おそらく、いやこれはもう自信を持って、これだけは自信を持って、「わたしが玉森くんを好きだから」だとおもう。元も子もないんだけど、「わたしが玉森くんを、いま、特別に想っているから」なのだとおもう。

わたしは音楽のことはよくわからないけれど、言葉が好きだということは自覚しているので、歌詞を読み進める作業がすごく好きです。しかも今回は玉森くん自らの作詞ということで、歌詞を読み進めること、それはそれは嬉しい、幸せな作業でした。綺麗だなぁというのがいちばんに思ったことかな。情景が浮かぶというか。

水面に降るかのように反射してる星と青い月とのコントラストの美しさを想像するたび泣きそうになります。青い月って、すごくめずらしいんですよね。ブルームーンという言葉で特別なことを指したりもするそうですし。だから、ここでうたっている あの日 は、それくらいに特別なものだったんだなぁと。「 あの日 |照らした|知っていた|キスした 」サビがすべて過去形で綴られていることが、より、あの日の特別さを強調していて、不意の 「いつも君のことだけを考えているよ|君を守るよ」で、いまを見つめて、「これからも すべてが宝物」で、あの日先の見えないと歌った今や未来が優しさに包まれていることを感じさせてくれる。刹那的なのに永続的で、それでいてちゃんと現実的。どれも相反する言葉だけど、街の灯りが溶けた幻想的な夜がそのすべてを包み込んでくれている気がして。

歌詞の面から考える、Only One...の好きなところはそこです。ただ過去にとらわれるだけではなく、無理にいまを繋ぎ止めるわけでもなく、変に未来に夢見ることでもない。どの瞬間も、愛おしくって、大切で、特別なんだということを、守るよ、の、言葉から感じるように優しく柔らかく包み込むように伝えてくれるところがたまらなく好きだなぁ。

同じように、そんな気持ちで玉森くんのこと見てられたら、好きでいれたら、想っていられたらいいなぁっておもいます。玉森くんを好きでいられるいまがずっと続けばいいなって思う。ずっとこの気持ちのままずっといちばんに好きでいますだなんてそんな無責任なことは言えないけど、無理な話かもしれないけど、少なくともいまのわたしはそうであったらいいなぁって、思っています。わたしはわたしが幸せになるためにこうしているのでわがままに欲張りに生きていきます。たくさんかわいいかわいい言えますように。玉森くんはじめわたしの好きなひとと、わたし自身が幸せに暮らせる毎日が続きますように。楽しく、できるだけ長く、幸せに玉森くんを好きでいれますように。

もう何が言いたいかわからなくなってきたけど、玉森くんが好きだって、そう感じてこうして言葉で表現することができるのが幸せなんだなってしみじみしながらいまも泣いてます(激重)そのことを強くつよく感じさせてくれるから涙が出るのかな。こんな気持ちにさせてくれるひとは玉森くん以外いないです。

ユアマイオンリーワン。あなたは、わたしにとって特別なひとです。きょうもありがとうございます。

なるべくゆっくりと。ゆったりと。優しく柔らかく。

できるだけ長く。

できたら、長く。なんちゃって。

先の見えない未来さえも優しく照らしててね。お世話になります、マイオンリーワン!

幸福論

玉森裕太くんお誕生日おめでとうございます!!!!

世界でいちばん好きなひと!その日がどんな日になるかなんて誰にもわからないけど今日という日がすごく特別でわたしにとってしあわせな日だということをわたしはずいぶんと前から確信していたように思います。ものすごく勝手ながらですが、嬉しく思います。ほんとうにうれしいです。ちょっときもちわるいことを言うと昔から奇数が好きなので、317という数字の並びにもはや興奮します!ふっふっふ

 

 

すごく、幸せです。あらためて言葉にすることではないけど、だからこそ言葉にして、ちゃんと残したい。玉森くんを知って、好きになって、また知って、もっと好きになるそのひとつひとつの過程がめまぐるしいように見えてすごく緩やかで、それでいて穏やかで。なんて格好いいひとなんだろう、かわいらしいひとなんだろう、素晴らしすぎて敵わない、素敵なひとなんだろうって。おかしいくらいに毎日のように心おどってときめいてそれでいて優しく和ませてもらっています。ときめきと癒しを天秤にかけたとき、こんなにもぴったりと釣り合うひとにわたしははじめて出会えたので、心の状態も、こう、大方フラットな状態でいれるんです。それがすごくうれしい。もちろん勝手に悩んだりつらくなったりもやもやすることもあるけど、それをこっそり取っ払ってくれるのも玉森くんです。依存しすぎてはいけないけど、すっかり拠り所です。

 

 

玉森くんはブレない人だと思います。置かれた状況によって対応はきちんと変えられるけどその中できちんと自分のペースを守るところ、流行りものはそれなりに好きだけどそれにずっと染まり続けたいとは思わないところ、お金はあるに越したことはないけれど執着はないと言い切るところ。挙げたらキリがないけれど、ふわふわしてるように見えて芯がしっかり通っていてそれでいてその核の部分がとてもまっすぐで、綺麗なひとだなぁと思います。そして、かっこよさとかわいさ、ヘタレなのに度胸があるところ、笑うのが苦手なはずなのにとびきりかわいく笑うとこ、クールに見えて全然そんなことなくて思いやりのある優しいところ。そんな数え切れないくらいギャップがあるけれど、裏表が一切ないところが大好きです。だからそんな玉森くんを見てるわたしも、好きだなぁという気持ちをブレずにまっすぐ素直に持つことができるのかなって、それに気づいたときがすごく幸せでした。


 



 どちらかというとわたしのツイートは、「好き」の押し付けなところがあると思うんです。それでいて驚くほど盲目なので、卑屈になっているわけではなくて、煩わしく思う人も、きっといると思っていて。だからこそすごく不安だし申し訳なく思うことも多々あります。自由に呟くところと分かってはいながらもやっぱり考えたりします。もっとポップでキュートでライトな玉森担をフォローすることを全力でおすすめしたい。そして何よりわたしがひとと接することがお世辞にも上手ではないので、だからこそいろいろと悩むこともありまして、実はTwitterはやめようかなぁと、ここ二三ヶ月、ずっと思ってたんです。結果的に、もうしばらくお世話になることにしましたが、適切な距離感を自分なりに測りながら向き合えたらいいなぁと。なんだか重たくなってしまってすみません。とりあえずただ楽しくかわいいかわいい言えたらいいなぁと、思います(結局)


 


今回のブログのタイトルは椎名林檎さんの幸福論が好きすぎて、玉森くんへの気持ちにすごく似通った部分があるなぁとおもったときにぽろぽろ泣いてしまったことからそのまま付けさせていただきました。拝借失礼いたします。

 

とりあえず一回読んでほしいし、聞いてほしい。

http://sp.uta-net.com/search/kashi.php?TID=12119

ゆーちゅーぶの貼りつけうまくいかなかったからぜひぐぐってください!すいません!

 

 

 

空の色と同じなんです、ほんとうに。そのままの、笑ったり真剣な顔になったり照れたり、きっと見たことないもののほうがたくさんの、玉森くんのいろんな表情とか、移りゆく中で変わったり変わらなかったりする考え方とか、仕草とか癖とか、そういうものひとつひとつに心がときめくんです。すごく笑顔になったり、涙があふれたりする。わたしのあまり揺れない感情は、玉森くんがいるからこうして波を打つことができます。


 

だから、そのままでいてほしい。奇しくもそのままのときを好きになれたので。そして、玉森くんがきちんと楽しくお仕事ができるように直接的以外にも絶対に迷惑をかけてはいけないなぁと思います。その環境を、言葉を、守り通さないといけないんだと思うんです。だから、ちゃんと、玉森くんのファンをやりたいです。義務にしたいわけではなくて。こんなに素敵なひとを応援させてもらっているので、わたしも素敵なひとにならないといけないなぁと思います。少しのことでへこたれちゃいけないし、厭う苦労を煩わしく思うようにはなりたくない。幸せに、玉森くんを好きでいることがいちばんの目標です。それがいちばん大切なことです。




玉森くんのファンになれてほんとうによかったと思うし、玉森くんが まんなかにいてくれる世界で 毎日をすごすことができて本当に幸せです。ありがとうだけじゃ足りないけれど、やっぱり感謝しかできないです。幸せって意味を教えてくれた君に感謝したいから。いっぱいいっぱい感謝したいから、!



明日も元気でいてね。君が其処に生きているという真実だけで幸福なんです。25歳の玉森くんにも、たくさんお世話になります。今日はほんとうにおめでとうございます!